藍のおはなし 3

  • 2012.08.01 Wednesday
  • 22:00
 

以前から探していたガジュマルの薪が見つかりました。
古くから、琉球藍の藍建てにはガジュマルの灰を使ってきたと聞いてから
いろんな方に声をかけていたものの、なかなか縁がめぐってきませんでした。

染料の仕込みが形になった頃、偶然通りがかった廃校になった小学校の敷地で
ガジュマルの大木が何本も切り倒されているのを見つけました。

その姿は痛々しく、ただ諸手を上げてやった〜!とは思えなかったけれど、
これを無駄にする手はないと村役場にお願いに行き、頂く事になった。

数日前にそのガジュマルを燃やした灰で作った灰汁を使って、
先日でき上がった琉球藍を仕込みました。

藍と夫と私で泡盛を少しずつ頂いて、
祈りを捧げて、仕込みました。



先日は遊びにきた子供達と一緒に
「ラブ〜〜〜」と呪文のように唱えながら、
愛のパワーを瓶の中に送り込みました。

瓶の中は藍色の小さな宇宙。

やっぱり愛の波動がとっても大事だなあ

仕込みから数日経って、もう結構しっかりと染まるようになっているけど
もう少し、見守ってから初染めに入りたいと思います。









藍のおはなし/その2

  • 2012.07.26 Thursday
  • 22:09





不思議な縁に運ばれて、
私たちは本部半島で何代も藍の製造をされてきた
比嘉さんのご一家に出会いました。

私たちが出会った昨年の初夏、
比嘉琉球藍は継ぎ手なく、製造を続けない流れの中にありました。

藍の畑とそれを仕込む藍壷が寄り添った
昔ながらの自然の中にある製造場で
どうにか藍の製造を教えて頂く事はできないか、
せめて少量でも生産を続ける事は出来ないかと
比嘉さんのお母さん、息子さんに無理を承知で頼み込みました。

今思えば見ず知らずの私たちの申し出を
よく受け入れて下さったものである。

製造所の主、比嘉さんは入院中で、
お家の中はきっとばたばたされていたと思う。
にもかかわらず、私達はわらをもつかむような想いで
製造した場合の買い手を自分たちが募るというアイデアを出し、
本業でお忙しい息子さんに無理を言って、
私たちも植え付けから水やり、日々のお世話をするという事で
一回分の製造をご承諾頂いた。

それからすぐ先代は亡くなられ、残念ながら私たちは
写真の中の比嘉さんにしかお目にかかることは出来なかった。

その秋からもう株もまばらになっていた
琉球藍を息子さんご夫婦と挿し木で増やし、
先日の慰霊の日に刈り取りと仕込みを行った。








400キロの葉を刈り取ってすぐに
そばにある巨大なすり鉢のような藍壷に沈め、
重しをして2日近くたった頃
男数人掛かりで先に沈めておいた網を茶こし代わりに、
藍壷の中からインディゴが水に溶け終わったあとの葉っぱを取り出す。
数人で網の上に乗っかり、
足で踏んで藍の葉っぱから藍の液を絞り出す。


石灰を投入し、船の櫂のようなもので
大人数人で藍壷の中の液を混ぜ、空気を送り込む。
その作業約一時間。
藍色の泡が初めはぶくぶくとしている所から、最後は溢れるくらいまで。




なんと言っても400キロの葉っぱの仕込み。
全ての作業が大掛かりでダイナミック。

原始的なその作業はまるで
少数民族の村の仕事のように美しく、
夢が一つ形になった
そんな思いで胸がいっぱいになった。


昔から世界中どこの国にもあった営み、
衣食住全てを自分たちの手で作り出すこと。
食べ物を作るように、そんな営みと風景を取り戻したい。
ただ昔に返るだけではなくって、文明を経た私たちだからこそ
選び創りだせる、人と人、人と自然が環のようにつながった新しい暮らし。

田んぼや子育てを共にする友人達と自分たちの着る藍を作る幸せ。

比嘉さんご一家、天国の先代そして藍の神様、

ありがとうございます。





















藍のおはなし/はじまり

  • 2012.03.24 Saturday
  • 17:02


 

ブログを始めたら一番に書こうと思っていたこと、琉球藍との出会いのお話。

なかなか書けぬ間に、もうこんなに経ってしまったけれど
時を遡ってお話ししたいと思います。

___________________________________

私たちが自分で育てた藍で染料を作って染めたい、と思い始めた時から
いったいどのくらい経つんだろう。


千葉にいる時、徳島から送って頂いた藍の種を蒔いて収穫した
ほんの少しの葉っぱで生葉染めをした。

お腹の大きな私は、ふうふういいながら暑い夏の庭で作業。
初めての自家製の藍で染めた色は
夏の空の色よりも淡い透明な水のような色で
生まれてくる子の名に藍という字を入れたいと
思い描かせてくれました。

天藍(てら)という名の赤ん坊をベビーカーに乗せ、夫と交代であやしながら
敬愛する角久子さんの開催する東京での染色の講座に一年間通いました。

角さんの講座の中で蓼藍の種を蒔き、育て、生葉染めではなく、沈殿藍を作り
それを発酵させて(藍立てして)染めるという一連の仕事を教わりました。

沈殿藍は泥藍とも呼ばれ、古くから世界中で作られていましたが
日本では保存と流通に長けたすくも藍が広まり、
すくも藍を使って各地の紺屋が染める、分業のスタイルが主流となったようです。

鴨川の皆と歩いて行き来できる小さな村のような形で暮らし、
お米や醤油を共に作るように、暮らしのなかで藍を作り、皆の衣を染める。
暮らしのなかで衣食住が循環する、そんな夢も半ばでここ沖縄へやってきました。

もともと友人たちが暮らし、訪れたことのある土地とはいえ
こころ細く、一旦すべてがリセットされた、そんな気持ちでした。

お家探しをして本部半島をドライブしていたとき、
目に入ったのが「琉球藍製造所」の看板。

一年前に、知人が育ててみたらと千葉に送って下さった琉球藍の
苗がさっと目に浮かびました。

私たちの暮らし始めたところは琉球藍の産地でした。

つづく













categories

recent comment

profile

instagram

search this site.

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM