藍のおはなし/その2

  • 2012.07.26 Thursday
  • 22:09





不思議な縁に運ばれて、
私たちは本部半島で何代も藍の製造をされてきた
比嘉さんのご一家に出会いました。

私たちが出会った昨年の初夏、
比嘉琉球藍は継ぎ手なく、製造を続けない流れの中にありました。

藍の畑とそれを仕込む藍壷が寄り添った
昔ながらの自然の中にある製造場で
どうにか藍の製造を教えて頂く事はできないか、
せめて少量でも生産を続ける事は出来ないかと
比嘉さんのお母さん、息子さんに無理を承知で頼み込みました。

今思えば見ず知らずの私たちの申し出を
よく受け入れて下さったものである。

製造所の主、比嘉さんは入院中で、
お家の中はきっとばたばたされていたと思う。
にもかかわらず、私達はわらをもつかむような想いで
製造した場合の買い手を自分たちが募るというアイデアを出し、
本業でお忙しい息子さんに無理を言って、
私たちも植え付けから水やり、日々のお世話をするという事で
一回分の製造をご承諾頂いた。

それからすぐ先代は亡くなられ、残念ながら私たちは
写真の中の比嘉さんにしかお目にかかることは出来なかった。

その秋からもう株もまばらになっていた
琉球藍を息子さんご夫婦と挿し木で増やし、
先日の慰霊の日に刈り取りと仕込みを行った。








400キロの葉を刈り取ってすぐに
そばにある巨大なすり鉢のような藍壷に沈め、
重しをして2日近くたった頃
男数人掛かりで先に沈めておいた網を茶こし代わりに、
藍壷の中からインディゴが水に溶け終わったあとの葉っぱを取り出す。
数人で網の上に乗っかり、
足で踏んで藍の葉っぱから藍の液を絞り出す。


石灰を投入し、船の櫂のようなもので
大人数人で藍壷の中の液を混ぜ、空気を送り込む。
その作業約一時間。
藍色の泡が初めはぶくぶくとしている所から、最後は溢れるくらいまで。




なんと言っても400キロの葉っぱの仕込み。
全ての作業が大掛かりでダイナミック。

原始的なその作業はまるで
少数民族の村の仕事のように美しく、
夢が一つ形になった
そんな思いで胸がいっぱいになった。


昔から世界中どこの国にもあった営み、
衣食住全てを自分たちの手で作り出すこと。
食べ物を作るように、そんな営みと風景を取り戻したい。
ただ昔に返るだけではなくって、文明を経た私たちだからこそ
選び創りだせる、人と人、人と自然が環のようにつながった新しい暮らし。

田んぼや子育てを共にする友人達と自分たちの着る藍を作る幸せ。

比嘉さんご一家、天国の先代そして藍の神様、

ありがとうございます。





















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